Levi's リーバイス ストーリー 物語 501 ジーンズ オーバーオール


 Levi Strauss Story
 リーバイ・ストラウス物語

   
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  リーバイ・ストラウス
Levi Strauss(1829-1902)

世界中で最も親しまれている
ジーンズリーバイスの由来は製作者リーバイ・ストラウスの名から来ている

ヒルシュとレベッカ夫妻の子としてレーブ・シュトラウス(
リーバイ・ストラウス)はドイツ南部バイエルン州バッテンハイムで生まれた

後の1850年レーブ・シュトラウスという名前から
リーバイ・ストラウスに改名している

ヒルシュはレベッカと結婚する以前に別の女性との間に5人の子供をもうけていた

1847年、ヒルシュが亡くなるとレベッカ一家は
アメリカ・ニューヨークに渡った

先に
リーバイの異母兄弟であるジョナスとルイスが1840年頃、アメリカに移住しておりニューヨーク小間物屋を始めていた

そこで、レベッカ一家はこの事業に加わることにした

その後、リーバイは
ケンタッキーで小間物を行商して回ることになる

この小柄で英語が満足に話せないユダヤ人には、あまり満足な商売は期待できなかった

一見、風変わりで放浪の一匹狼であった
リーバイだが

この見知らぬ土地で見知らぬユダヤ系アメリカ人の行商人が19世紀後半のアメリカ商業界で重要な役割を果たしていくことになる

1849年
カルフォルニア金鉱が見つかるとリーバイは早速、事業の可能性を求めて出かけていった

それは自分で金鉱を発掘するためではなく、金鉱を掘り当てた人達にものを売りつける確実な商売をするためだった

サンフランシスコ好景気に沸いていた

ニューヨークでジョナスとルイスが数十セントで作った衣料品がゴールドラッシュ西部では数ドルで売れた

ニューヨークから商品を西部に運ぶのに危険なマゼラン海峡を通過する船の数は限られ、地上を移動する幌馬車はインディアン、山賊、自然の脅威にあっていた

西部で事業を展開し始めた
リーバイの頭をたびたび悩ませていた

1853年
リーバイは妹フェニーの夫デビット・スターンサンフランシスコの海沿いに衣料品店を開店、1856年以降店舗を拡大していった

リーバイは店の経営はデビットに任せ、馬車で行商をして回る路上生活を送っていた

彼らは一緒に住むほど非常に仲の良い共同経営者でもあった

その後3人目の共同経営者としてデビット・サーレンという男が加わわり
リーバイの私生活も慌しいものとなっていった

1872年、この年
リーバイは転機をむかえる

ラトビア出身のアメリカ人、
デイビスと名乗るジャコブ・ユープレからの手紙を受け取った

デイビスの銅のリベットで補強したデニム・パンツは普通のパンツより格段に丈夫で人気があり作れば作るほど売れていった

デイビスはこのパンツの製造と販売で成功を収めていた

デイビスはこの革新的な技術を特許として保護されれば大もうけできるに違いないという野心を持っていた

そこで資金のない
デイビスは織物業者であるリーバイスターンに接近し、ある条件を出したのである

それは、
リーバイスターンが特許の保護と製造を手がけデイビスは利益の一部を得るという提案であった

1873年特許が登録された

その年、世界初の
リーバス製オーバーオールが4着作られた

この
オーバーオールネバダ州ウォズワースのファーガソンという店で12ドルで販売された

製造に当たり当時、
リーバイは工場を持たなかった

女性達に1日3ドルという高給な賃金で自宅にて縫製してもらうようにしていたのだ

その後
リーバイは引退した後も販売店やフレモント通りにある工場をたびたび、訪れて顧客や従業員と親しく談笑した

彼は高齢になってからも
リバーイと気さくに声を掛けられることを望んだ

1977年、新聞の記事よると
リーバイは公正かつ親切な男で孤児院や老人ホームの支援を行い、宗教に関わりなく慈善を施した男として掲載されている

1874年、共同経営者である
スターンが亡くなると妻のフェニーは7人の自分の子に事業を継がせるためにリーバイに独身でいることを勧めている

リーバイはこの誘いにのり彼女の手配した既婚女性との密通を楽しみ、美食家として晩年を過ごした

そんな
リーバイは2度にわたる大災難にみまわれそうになったが危うく難を逃れている

良い時代に良い場所に生まれ、事業に恵まれ良い妹をもった

妹とは
リーバイの生涯にとって大切な人物となるフェニーである

1873年恐慌では1877年に発展した労働争議で資本家やユダヤ人が狙われたが
リーバイスでは代わりに中国人労働者達が被害にあっていた

3日間に及ぶ暴動は中国人を虐殺、中国人の家を焼き払った

リーバイの自宅のすぐ近くまで暴徒はせまってきたが目前で意気消沈してしまった

次の大災難はサンフランシスコ大地震である

大地震で
リーバイスの大工場がペシャンコになってしまったがこの地震が起こる直前にリーバイはこの世を去っている

1902年
リーバイが亡くなる

リーバイフェニーの目論見どおり一生独身を通し4人の子供達に遺産を引き継いだのである


 

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